コンセプト

鳶 × 都美

粋で鯔背(いなせ)な鳶職人

江戸時代、鳶は、大工や左官と並んで「華の三職」と呼ばれた花形の職業でした。長年にわたる修行を乗り越えた人間のみが名乗ることを許され、建物の構造を熟知しているため町火消しの中心的な役割を果たしていた鳶は、江戸の町の憧れの存在だったと言われています。当時、高給取りであった鳶は、お洒落でセンスがよく、さっぱりした気風を持った人が多かったことから、“粋で鯔背な”江戸っ子気質の象徴として、tobiのコンセプトの中核的イメージの役割を果たしています。

伝統と現代性を持つ“都市美”

東京は、世界最先端の都市でありながら、江戸から続く伝統的な文化を継承しており、和と洋、伝統と革新、技術と感性が織りなす街の美しさは、他に類を見ません。tobiは、混沌をかかえながら尖鋭的であり続ける美しき都、東京のイメージを体現した家具であり、tobiに“Living Design Tokyo”というフレーズがセットされているのは、そうした背景があるためです。tobiの家具で多く採用されている美しい曲線は、お江戸日本橋の太鼓橋からインスピレーションを受けたデザインです。

歴史と技術を継承し、新しい文化を創る

“室礼”という伝統美学

日本には、四季折々の行事や、来客など日常的な出来事に合わせて調度を“しつらえる”という文化があり、このように空間を整え飾ることを“室礼(しつらい)”といいます。日本では現代では室内では椅子に座る“椅子座”の空間が多く採用されていますが、古来より近代まで、床に座る“床座”が主流でした。伝統的な“室礼”は“床座”の振る舞いを基にした作法であり、これが日本人の生活様式の原点となっています。私たちは、日本の美学から発想した、本当に日本人に合った“椅子座”の“室礼”を創造したいと考えており、これを実現するための家具をつくっています。そして、現代の新しい東京の生活様式が生み出す“室礼”が、世界に新しい価値観をもたらすことを願っています。

芝家具の伝統を継ぐ職人技術

現在では、東京はあまり家具の産地というイメージは持たれていませんが、日本の洋家具製造は、東京の芝新橋・田村町地域から始まりました。安政六年(1859年)、横浜に外国人居留地が設けられたことをきっかけに洋家具が持ち込まれ、明治維新後に文明開化と共に広まった洋家具は産業として国内に根付きました。

官公庁街に近く、横浜と鉄道で結ばれた芝新橋・田村町地域では、江戸時代から続く伝統的な大工指物建具や宮大工、武具や駕籠の製造技術を継承した職人たちが家具の修理や製造にあたりました。この地域で生産される家具は当時の家具の一大ブランドとして「芝家具」と呼ばれるようになり、多くの公共施設や商業施設に導入され、西洋の生活スタイルの普及に貢献しました。

その後、商業都市として発展を続ける東京の都心で工場を維持することが困難となり、製造業者は都下・周辺地域へ移転する業者が相次ぎ、現在に至っています。そのような中で、現代の生活スタイルと伝統的な日本の美学の両方に適した家具を実現するため、「芝家具」の流れを受け継ぐ東京都家具工業組合の家具製造業者が結集し、各社の技術と強みを持ち寄って、tobiは生まれました。

唯一無二の“もてなし空間”

一人のために誂え(あつらえ)る

私たちの家具づくりには、「1本でもない100 本でもない10本」という考え方があります。1本しかつくれない芸術家ではなく、100本も量産する工場でもない、感性を込めた手仕事で10本つくることができる工房であり続ける、ということを意味しています。tobiの家具は完全受注生産方式で、一人一人のお客様の思い描く空間を実現するために、最適かつ最高の家具をおつくりしています。基本的な製品仕様を基にしながら、設置する空間に合ったサイズ・色合いにカスタマイズすることで、一品対応のホームユースから複数つくるコントラクトユースまで、お客様の「最高のおもてなし空間」を演出します。

希少素材のハイエンド家具

tobiの家具では、製品によって異なりますがオバンコールや黒檀といった硬度の高い、希少な高級素材が使われています。このような素材は加工が難しいですが、比重が高く油分も多いので強度があり、素材としての風合いが良く、美しい形状でありながら、家具としての機能性を両立することが可能となります。この難しい加工を実現しているのが、職人の技術力です。明治初頭に始まった「芝家具」の伝統を継承し、近代化の流れと機械による量産化の流れに、なじむことなく背をむけるかのように一途に手仕事にこだわり、商業の中心地で求められる難しい注文をこなしながら技術を高めてきた芝家具の職人たちの技術力で、あなたにとって最高の家具をおつくりします。